第2回「英語できるはず」が少しも話せない!【全8回シリーズ:日本人初NYスピーチコンテスト優勝への軌跡】

信元夏代のスピーチ術」編集長 信元です。
今回も引き続き、私が現代ビジネス2019年1月9日に寄稿した「純日本カルチャーで育った私がNYでスピーチ優勝者になれた理由」の第二章「英語できるはず」が少しも話せない!」でお話した私の学生時代をご紹介いたします。

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はじめてのアメリカ大学留学で、英語に自信があった私は一気に自信喪失し、部屋に閉じこもる毎日になってしまいました。唯一の救いはダンスでしたが、それでも、英語で人とコミュニケーションを取ることは避けてしまっていました。

Up ? Sucks??

学校はミズーリ州のセントルイスにある、ワシントン大学というところです。これは、早稲田大学の交換留学プログラムの中でも、ジョージ・ワシントン大学、トロント大学と並んでトップレベルの3大大学でした。
しかも、100%の奨学金が出るのはこの3校だけでしたから、私の成績や行いが悪いと、今後早稲田から奨学生を出せなくなるかもしれません。責任とプレッシャーも感じていました。

ところが、成績どころか、全然会話についていけないのです。まず、普段の会話がわからない!!

What’s up?(調子どう?)と言われて、文字通りの意味の「上に何がある?」だと受け取って、上(up)を見上げてみたり、That sucks!(サイテー)と聞いて、「Sucks」が「Socks」にしか聞こえず、「靴下がどうした?Socksは複数なんだから、Those Socks!と言うべきじゃ?!」 なんて思ったり。今考えるとお笑いにしかなりません;;;

クラスの中でも、みんな積極的に発言します。先生が話すスピードも速ければ、発言するクラスメートたちの反応も早い。しかも、アメリカ人学生だけでなく、留学生でも、全く臆せず発言しているではないですか。発言できずに圧倒されて沈黙しているのは私ひとり...アジア、ヨーロッパ、中南米……世界中から集まった留学生たちの多くは、私より英語ができないのに堂々としていて、社交的で積極的でした。びくびくしている自分とは違う在り方をみて、「こんなところでやっていけるのだろうか」と不安になりました。みなが集まっている輪に入るのが怖くて、毎日食事が終わるとすぐ部屋に入り、ドアをぴしゃりと閉めていました。劣等感でいっぱいで、二日に一度は泣いていました。

ダンスという共通言語に頼る

私は3歳からバレエを、中学・高校の時は創作ダンスを、そして大学1年の時にはミュージカル・サークルでダンスを主に担当していました。

ですから、ワシントン大学でも、体育の科目にはダンスを選んでいました。ダンスのクラスが唯一、言葉が分からなくとも、みんなを見て体を動かせば着いて行ける、唯一、「できる」と思えたクラスでした。

そのダンスのクラスで、ある時先生が、「春にパフォーマンスがあります。そのオーディションが行われます。希望者は〇月〇日、スタジオに集まるように。」と言いました。

私はオーディション会場に出向きました。一人ずつ踊らされるわけですが、何を課題とされているのか100%理解できていませんから、列の後ろの方に並び、前の人たちの動きを見ながら、自分の順番まで真似をして体で覚え、無事オーディションを終えることができました。その結果、パフォーマンスチームに合格することができました。

ダンスのおかげで、なんとか居場所ができたかも...と思えてきたものの、やはり言葉のコミュニケーションは全く取れずにいました。

そして2~3か月くらい経った頃でしょうか。

ある「事件」が起きました。そしてその「事件」をきっかけに、私は大きく変わっていったのです。

次回は、「第3回.英語ができない?だから?」です。お楽しみに!

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はじめてのアメリカ大学留学で、英語に自信があった私は一気に自信喪失し、部屋に閉じこもる毎日になってしまいました。唯一の救いはダンスでしたが、それでも、英語で人とコミュニケーションを取ることは避けてしまっていました。

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