「信元夏代のスピーチ術」編集長 信元です。
前回に引き続き、私のアメリカ留学時代のお話しをご紹介します。
自分の中の水風船が割れる
大きな転機が起きたのは、ワシントン大学にわたって2~3ヵ月ほどした金曜日のことです。
私が住んでいたのは、大学一年生の寮でした。初めて親元を離れて生活する学生たちばかりでしたから、ウィークデーはきちんと勉強している学生も、週末が近くなるとみんな羽を伸ばしています。毎週金曜日になるとビールとピザでフロアパーティ。もともと声を張り上げないと話せないパーティは嫌いだったので、参加するなんてとんでもないと思っていました。
私はその日、夕飯を終えて、いつものとおり自分の部屋に籠ろうとしていました。エレベーターを降り、どんちゃん騒ぎ真っ最中の人込みを通り抜け、ここの角を曲がれば自分の部屋...というところまで来た瞬間、角部屋の居住人のネートという男の子に腕を掴まれました。
ネートはビール片手にすでに酔っぱらっていて、よろよろしながら私にこう言ったのです。
「Why are you always anti-social ?! (なんで君っていつも非社交的なの?)」
私はその時、
「英語に自信がない」 → 「だから人と交流したくない」 → 「だから話せるようにならない」 → 「ますます関わりたくない」 → 「でも話したい」
という矛盾でいっぱい。自分のなかのモヤモヤが張りつめていて、水をたっぷり詰め込んだ風船のような状態でした。だからネートのこの言葉は、小さなつまようじが風船を刺し、パンと割れたように感じられました。
そしてその次の瞬間、大泣きしてしまったのです。パーティーのど真ん中で、です。パーティをやっている人たちは驚いて、何事かと私の周りに集まってきました。
パーティーの流れを止めてしまった。余計に自己嫌悪に陥りました。
それでも私は泣きながらなんとか片言の英語で、
「だって英語上手くないし、話したいけど話せないし……」
と言いました。そうしたら、ネートから意外な一言が返ってきました。
So What?(それが何?)
「So What?」
。。。。
は。。。。。? それが何、って。。。。??
あまりにも変化球で、拍子抜けな感覚と、何でそんなことを言うの?!という困惑とで、私の涙は止まってしまいました。
そしてあっと気が付いたのです。
自分の中ですごく気にしていたこと、「英語が上手くないと渡り合えない」と思っていたことから解放されたのです。
自分の下手な英語で分かってもらえないかもしれない、相手が話していることがわからなかったら会話に参加してはいけない、下手な英語でしゃべっていたら馬鹿だと思われるかもしれない…そう思い込んでいたけれど、実は周りはまったく気にしないのだと。
ドアを開けるのは自分
その翌日から、私はいつも閉め切っていた自分の部屋のドアを、少し開けておくことにしました。
そうすると、通りかかったフロアメイトが、「Hi!」と言ってくれるようになりました。
同じフロアには、英語がほぼネイティブレベルの台湾人留学生がいました。その子のところに無理やり質問を作って、聞きにいくようにもなりました。
冬頃には、隣の部屋の住人が夜遅くまで騒いでいてうるさくて眠れなかった日には、隣のドアをたたいて、「静かにしてくれる?」と言えるようにまでなりました。
心のドアを開けるのは自分自身だったのです。
言葉ができても渡り合えない
そして、「色んな人たちと交流し、渡りあっていくのは『言語能力』だけじゃない」ということを実感しました。基本的な単語や文法はもちろん必要です。でも、「英語の勉強だけ」では交流はできません。
ちなみに、今でも私の英語の語彙数は多くありません。先日FBでボキャブラリー診断をやっている知人がいて、私も挑戦してみました。ネイティブの人は2万~3万ワードだと言われている中、知人の方は1万7000ワードという素晴らしさ。
しかし私は1万ワードを切っていました。20年以上NYに住み、プロのスピーカーをやっているのに、少ないのです。お恥ずかしいことですが、「英語はボキャブラリーだけではない」ことがお分かりいただけるかと思います。
では、英単語の数よりも大切なのは何でしょうか。それを痛感したのが、MBAの留学に挑戦したときのことでした。
次回は、「第4回-英語能力よりも、伝える内容と力」です。お楽しみに!
アメリカ留学中のある出来事をきっかけに、「色んな人たちと交流し、渡りあっていくのは『言語能力』だけじゃない」ということを実感しました。基本的な単語や文法はもちろん必要ですが、「英語の勉強だけ」では交流はできないのです。