「信元夏代のスピーチ術」編集長 信元です。
大学3年生の時の1年間のアメリカ交換留学についてお話をしてきました。今回は、その経験がその後どう生かされたのか?お話ししていきたいと思います。
波乱万丈の冬休み
そうして1学期が過ぎ、冬休みに入りました。
私は、せっかくの機会なので、早稲田から北米に散らばっていた、同じく留学中の同級生に会いに行くことにしました。
収入のない大学生ですから、親からもらったお小遣いと、留学前にバイトで溜めた貯金を切り崩しての北米横断ひとり旅です。一番安い航空券は、セントルイスをハブにして、いちいちセントルイスに戻ってこないと次の都市に飛べない、というものでした。
セントルイス → ワシントンDC → セントルイス → シカゴ → セントルイス → シアトル → セントルイス → トロント → セントルイス
セントルイスは、アメリカの中西部に位置します。普段でも厳しい冬ですが、その年は大寒波が訪れ、何度も大雪に見舞われました。
ワシントンDCからセントルイスに戻ってくると、シカゴへの乗り継ぎ便がキャンセルされていました。翌日朝一のフライトに変更してもらい、一度寮に戻ることにしました。
が、すでに冬休み。寮には鍵がかかっていました。セキュリティーに電話をし、事情を説明して鍵を開けてもらい、一晩、誰もいない寮の自分の部屋で過ごしました。セキュリティーのお兄さんだけは私がこの寮でたった一人寝ていることを知っている...襲われたらどうしよう...そんな不安もよぎり、その晩はあまり眠れませんでした。
翌朝、早朝に目覚めて空港に行くと、シカゴ便は遅れています。数時間待ってようやく飛行機に乗れました。
その後またセントルイスに戻るフライトの到着が、やはり天候のため遅れました。飛行機を降りた時には、シアトルへの乗り継ぎ便の離陸まであと10分、というところ。空港スタッフに事情を説明して、ゲートに連絡してもらい、乗継便ゲートまで猛ダッシュで走りました。なんとか無事に乗れました。
ところが!天候の関係で、飛行機が迂回し、デンバーに一度降りる羽目に...
シアトル行きまで4時間もあります。
私は空港のInformation Deskで、「ここから一番近い観光名所はどこですか?」と尋ね、山の中の自然史博物館までバスに乗っていき、次の便までに空港に戻ってきました。
博物館から、日本の母に電話をしたところ、たいそう心配されたのを覚えています...
こんな波乱万丈な冬休みが終わり、新学期が始まってみると...何かが変わっていました。
あ、しゃべれてる!
英語での会話を避け続けて過ごした1学期でしたが、冬休みの一人旅では、波乱万丈な出来事が頻発したため、否応なしに、誰かに話しかけて助けを求めないといけない、切迫した状況に何度も追い込まれました。
そんな状況を何度も経験して2学期に入ってみると...
「あ、しゃべれてる!!」
そう気づきました。
英語が上達した、というのもあるのですが、それ以上に、英語が完璧でなくとも、自ら、伝えようとする気持ちを持ち、伝えたい内容を明確にして、どんな英語でもいいから思い切って発信する。その力が備わったのだと思います。
英語能力よりも、「伝える内容と力」。
これを身をもって知った二学期目からは、私の英語もどんどん伸びていきました。
次回は、「第5回ー合格した理由は「テスト」でなく「プレゼン」」です。
お楽しみに!
ワシントン大学留学中の冬休み、北米横断一人旅をしました。それが波乱万丈の旅行となり、自分から知らない人に英語で話しかけ、問題解決しなければいけない状況に置かれました。でもそれが実はブレイクスルーとなったのでした。