「信元夏代のスピーチ術」編集長 信元です。
グローバルに活躍する為に必要なことは何でしょう。
私は大学院進学でアメリカに渡りました。その後、ニューヨークで経営コンサルタントとして会社を立ち上げるに至りました。スピーチは、元々それを仕事にしようと思って始めたのではなく、大学院卒業後アメリカで就職活動をしている時にスキルアップとして始めたものでした。
留学当初はクラスメイトの前で自己紹介するだけで頭が真っ白になる程でしたが、現在はスピーチが仕事となり、スピーチ指導専門とする会社、ブレークスルースピーキングを立ち上げるだけでなく、日本人初のアメリカのプロスピーカーとして国内外で登壇や指導など、沢山の活躍の場をいただくようになりました。
「グローバルで活躍するために必要なことは何か」
常々自問してきました。
こうした過程で、私の中に芽生えたある1つのマインドセットがあったのですが、今日に至るまでそれは私の中で確信ではありませんでした。ですが、つい最近私に起きたある出来事をきっかけに、それが「確信」に至ったのです。
全米プロスピーカー協会NY支部の主要メンバー、ジーンから突然のメール
全米プロスピーカー協会ニューヨーク支部の主要メンバー、ジーン・スタフォードから、個別メールをいただいたのは今年の2月上旬のことでした。
「是非個別にコネクトしたいので、Zoomできないか」とのこと。
ジーンは、プロスピーカーとしても全米で活躍していて、彼女が部屋に入ってきただけで、周りが大輪のヒマワリ畑になったかのような錯覚を起こす、明るくポジティブ、強く優しいエネルギーにあふれている人です。人望も厚いので、ジーンは全米プロスピーカー協会ニューヨーク支部会の理事を長年勤め、例会時には司会に抜擢されることも多くありました。
そんなジーンから、話をしようよ、と言われたことはとても嬉しく、同時に、なんで?という疑問もよぎりました。
そのZoomをきっかけに、まさか自分が名誉あるポジションに大抜擢されることになるとは、予想だにしていませんでした。
ジーンとの出会いは、遡る事2017年
全米プロスピーカー協会は、1973年に設立された、アメリカを拠点とするパブリックスピーカーの団体です。世界で最も古く、さらに最も大規模なスピーカー協会でもあり、ニューヨーク支部は「全米・35支部」中、最大規模を誇ります。
私は2017年からメンバーとして同支部の例会に頻繁に参加してきましたが、ニューヨークを拠点に活躍するプロスピーカーたちは、さすがに会話も弾み、素晴らしい人柄の方々ばかりである一方、私は常にたった一人のアジア人、たった一人のノンネイティブであったことに、少々控えめになってしまう自分がいることを感じていました(私自身の意識の問題なのですが)。
ところが、入会当初、そんな錚々たるメンバーたちの前でスピーチを披露する機会がありました。そのイベントを企画していたのが、前述のジーンです。
そのイベントでの私のスピーチを聞いて、彼女はこんな感想を残してくれています:
4年前の一つのスピーチが相手を動かした
理事選出のアドバイスを求められると思ったら・・・
ジーンは、4年前の私のスピーチをしっかりと覚えていてくれていました。このジーンが、この度、全米プロスピーカー協会ニューヨーク支部の2021年6月-2022年5月期の新プレジデントとして就任することとなった、というニュースを、彼女はZoomで私に伝えてくれました。彼女ほどプレジデントとして適任な人はいない!と確信していたので、お祝いの言葉を伝えました。
そこでジーンは、是非彼女の元で共にこの会に貢献する理事会のメンバーを探している、というのです。なるほど、誰が適任なのかな、私が推薦できる人は誰か、意見を求められているのだな、と私は理解しました。
ところが、この私の理解は大きな間違いだったのです。ジーンの次の言葉に、私は椅子から転げ落ちそうになりました。
Whaaaaaaat?!?!?!?!(えーーーー?!?!?!?!)
4年前のイベントで私が行ったスピーチを見て、「ナツヨには本支部へ沢山の価値を提供する資質がある」と直感した、というのです。
たった7分程度のスピーチでした。そのたった一つのスピーチが、4年経って、ジーンを動かしたのです。
少しも怖くないことは「挑戦」とは呼べない
自分が理事になるなんて、見当違いなんじゃないか、場違いじゃないか、という思いもよぎりましたし、錚々たるアメリカ人プロスピーカーたちの輪に深く入り込んでいくことへの緊張感もありました。それに子供もまだ9歳で習い事の送り迎えなどもあって会に参加できないこともあるかもしれないし、日本との仕事で早朝と深夜の仕事も増えてるし…
やんわりお断りできる理由はどんどん出てきました。何よりも、「錚々たる、世界的にもレベルの高いニューヨークで、プロスピーカーとして活躍する、年季の入ったネイティブスピーカーたち」、の中に、「(彼らと比べれば)経験も浅い、たった一人のアジア人で、ノンネイティブな外国人」、の私がポツんとひとり入りこんでしまうことへの怖さが襲ってきた、というのが本音です。
でも、少しも怖くないことなんて、「挑戦」とは呼べません。
折角、私の中に何らかの価値を見出してくれた、新プレジデントの期待にも応え、彼女の直感を私も信じ、自分自身が大きく飛躍できる挑戦なのだ…
そう考えなおし、お受けすることにしました。
全米プロスピーカー協会ニューヨーク支部初のアジア人理事に
歴代最年少、アジア人初!理事兼、初代グローバル・アウトリーチ・ディレクターに就任
そしてこの度、同支部・初のアジア人理事、そして、初代「グローバル・アウトリーチ・ディレクター」、更に最年少の理事として選出されました。
このような栄誉ある役割をいただくことができ、身の引き締まる思いです。
アメリカのプロスピーカー業界に数少ないアジア人プロスピーカーの発掘や拡大、ダイバーシティーへの貢献につながる活動ができれば、と考えています。
1年半ぶりの対面登壇、改めて気づいたスピーチの持つ力
理事就任式当日は、1年半ぶりの対面式カンファレンス登壇があり、アメリカ国内出張に行っていました。
2020年1月の対面式登壇を最後に、この1年半は全てオンライン登壇やオンライン研修を行ってきていましたので、下はヨガパンツとスリッパ、の状態から、全身スーツ+ヒール靴、というスタイルに新鮮な感覚を覚えながらも(笑)、やはり対面で、インターアクティブに観客とやり取りをしながらの登壇は、75分間と言う時間があっという間に過ぎるほど、楽しく、観客の皆さんからもエネルギーをいただくことができました。
私が常々お伝えしていることですが、改めて気づいたのは、「スピーチは、聴衆の心と繋がるツールなのだ」ということです。
対面式だとより一層それを感じることができます。
アメリカでプロフェッショナルスピーカーとしてこのように登壇していると、ほぼ100%の確率で、「登壇者、参加者の中で唯一のアジア人」かつ、「唯一の英語ノンネイティブスピーカー」と言うケースがほとんどです。
今回のカンファレンスもまさにそうでした。見渡す限り、アジア人らしき姿は一人も見当たりません。
私自身の登壇を終えてから参加したカンファレンスの最後の全体セッションでは、「ダイバーシティー&インクルージョン」というテーマを扱っていましたが、パネリストたちは、黒人3名、白人1名、ラティーノ1名。これはアジア人代表として存在感を示さねば!と意気込み、セッションの後半に意気揚々と挙手し、発言してきました。
拍手が起こりました。
ハンデを逆手に取る
ーたった一つのマインドセット
その後、セッションに関する感想と自分のダイバーシティーについての意見を簡潔に述べて着席しましたが、先の発言後の拍手で確信したことは次のことです。
ハンデがあるしちょっと怖い、と感じたら、逆に手を挙げてしまう。誘いを受けてみる。そして、ありのままの自分を、「私のブランド」なのだ、という強みに変えてしまう。英語ネイティブでもなく、周りの人たちとは「違う」自分に対し、引け目を感じるのではなく、逆にアドバンテージとして使うのです。
こう開き直ることができるまでに、かなりの時間を要しましたが、こんな姿勢がまさに実ったのが、今回の登壇、そして新理事就任につながったのだ、と感じています。
皆さんも、このたった一つのマインドセット、「ハンデを逆手に取り、強みに変える」を是非心がけてみてください。きっと世界への飛躍の扉が開くことと思います。
さて、今月末には、新理事が勢ぞろいして、丸一日かけてトレーニングが行われます。私にしか出せない価値があるはず。そう信じて、精進、まい進していきたいと思います。