災い転じて福となす?!
プロのスピーカーであり、スピーチコーチでもあるエド・テート氏は、2016年、ワシントンDCで2000人を前にして基調講演を始めようとしていた。ところが、紹介を受けて登壇した後、最初のセリフを完全に失念してしまった。
プロでもこんなことがあるのだ。
こんな時の心理は誰でも一緒だ。特に彼の場合はプロだけに自尊心が自身を責め立てた。
「目の前の人ばかりじゃない、オンラインでも話を聞いてくれている人が大勢いるのに… もうおしまいだ! 俺は2000年の世界チャンピオンなのに、なんだこのザマは! ありえない! ああもう仕事のオファーも来ないだろう」(Toastmaster Magazine, April 2020, p23)
時間にしたら、ほんの7秒くらいだろう。そんな短い時間の中で、人っていろんなことを想うものだ。
しかし、これではますます自身にプレッシャーをかけるだけで、なんの解決にもならない。
ここでエドが取った行動は注目に値する。まず深呼吸。そして自分にフォーカスし、「聴衆がなぜ、何のために自分の話を聞きに来たのか」に意識を集中させた。さらに、暗記してきた話ではなく、「今目の前にいる2000人の親友たちとの会話を楽しむんだ」と自分に言い聞かせたのだった。
これが功を奏し、リラックスできて言葉が出てきた。聴衆のために記憶に残る体験になるように思いを込めて話し続けた。
そして結果はと言うと、終わった後はスタンディングオベーション。講演後、自著も多く売れ、次の仕事のオファーも来たのだった。「失敗は成功のもと」「怪我の功名」とでも言うべきか、エドのあの瞬間の想いとはまったく逆の成果となった。
準備がモノを言う
エドが突差の場面で深呼吸し、自分を取り戻し、予想外の結果を生み出せたのは、十分に準備をしたからだと推察される。私自身、準備が不十分な時は納得した結果が得られない。
特に大きな会議で話す場合は、何回も原稿を書き直し、最低でも10回はリハーサル、鏡の前で練習したり、自分の話を録音、録画したりして十二分にチェックする。心理的なことが大きく影響するので、自分が納得するまでやり切る。そして、当日は「原稿を忘れてもいい。自由に話そう」と自分に話しかける。
内容面の他にも、大会場では機材のトラブルで動揺してしまうことがある。だから、例えば、もしパワーポイントが使えなかったらこうする、というような代案も考えておきたい。
また、自分がどういう状況になるとリラックスできるか、自分なりの癖を理解しておくといいだろう。私の場合、事前に誰もいないステージに立って、そこが満員になっているイメージをしておく。そうすると登壇した時に、初めてのような気がしなくて、少しリラックスできるからだ。
さらに、開演前に会場に早めに来た人たちと軽く話をするようにしている。特に、「今日は何を期待して来られたんですか」など、相手の関心事について尋ねることが多い。こうすることのメリットは多々ある。
まず、聴衆と交流が少しでも生まれ、彼らに敵意がないことが分かり、安心できる。そして、場合によっては、会話の内容を話に盛り込む。そうすれば聴衆との一体感も高まり、聞き手視点で語ることもできる。
スピーチとは聴衆との共同作業で創り上げるもの
そして何よりも、誰のために、何のために話すのか再確認できることがいい。実際にこれから自分の話を聞いてくれる人が今目の前にいる。この人たちに何かお土産を持って帰ってもらうためには「今日のあの点を強調しよう」などと計画が膨らみワクワクしてくる。
このように目的を確認することにより、テクニックに走ったり、自分本位の「オレオレスピーチ」にならずに済む。相手不在の「独りよがり」スピーチでは自分が孤立してしまう。この孤立感が緊張することと関連していると私は考えている。聴衆との一体感を味わうことにより、自分がすべてしているのではなく、実は、会場の人たちに支えられていることが自覚できる。そうすると不安や緊張が消えてしまうのだ。
さらにこの「つながった感」があると、共感が生み出され、感動がほとばしるスピーチへと発展させることができる。つまり、スピーチとは生ものであり、その場で聞き手と一緒に創造していくものなのだ。こういう意味でも原稿は暗記しない方がいい。
準備の段階で、失敗してもいいようにいくつかシナリオを想定しておいて、臨機応変にどう転んでもいいように考えておく。こうすることで、聴衆との共同作業的要素を強化できるし、不意のアクシデントにも動揺せずに、あがり症防止にも役に立つのだ。
準備を十分にしておくことで、本番のとっさの出来事に対処できる。さらに、自分の準備した原稿にこだわらずにフレキシブルな対応をすれば、さらなる聴衆との一体感を生むことに繋がる。