「信元夏代のスピーチ術」編集長 信元です。
前回まで、アメリカ、セントルイスのワシントン大学留学中のエピソードをご紹介してきました。さて、その後、どんな経緯でアメリカに戻ってくることになったのでしょうか。
「どうやったらそちらのMBAに入れるんですか?」
セントルイスのワシントン大学は、ビジネススクールが全米でも有名な大学でした。
当然、留学中に、MBAの学生や、MBAを目指す学生にも多く出会いました。
どんなプログラムなのか、ぼんやりとしかわかっていなかったものの、私はその「MBA」とやらにとても興味を持ちました。
そこで、留学を終えて日本に戻ってきてから、MBAについて少し調べ始めました。
マーケティングに興味があったため、マーケティングに強いMBAのトップスクールを探し出し、Admissions Officeに直接電話をしてみました。
単刀直入に尋ねました。
「I’m interested in your MBA program. How do I get in?」
今考えると、英語面でも質問の内容面でも赤面してしまいます;;;
が、電話に出た担当者はとても丁寧に回答してくれました。
最低でも3年、できれば5年くらい勤務経験を積んでから受験をしないと入れないプログラムなのだ、というのがそこで初めて分かりました(苦笑)。
その時は、ならばアメリカで就職してしまえば早いのでは?!と、単純に考えていました。
アメリカで就職し、いざMBAに挑戦するも...
そして大変光栄なことに、大学卒業後、運と縁とが重なり、NYにある伊藤忠商事のアメリカ本社に就職しました。
4年がたったころ、私は迷っていました。
そろそろMBAを受験したい。でも「ご縁」もあって入社した会社なので、そうそう辞められない。
思い切って部門長に相談してみたところ、
「伊藤忠なんてさっさとやめなさい!あなたはMBAを取って、もっと広い世界に行った方がいい。気にしないで辞めなさい。」
と背中を押してくださったのです。
そこから、仕事の合間を縫って、受験のための勉強と準備を始めました。そしていよいよ受験...
結果は...
不合格。。。。
ビジネススクール入学希望者対象に行われる適正テスト、GMATの、特に英語の点数が低すぎたことは分かっていました。その時はすでに、アメリカで就職して英語で仕事をしていました。が、またもや英語の壁です...
5年目で再挑戦しました。GMATも何度も受けなおしました。
するとNYU(ニューヨーク大学)の合格ラインにかろうじてひっかかったのですが、合格通知が来ない。調べてみると、GMATギリギリの点数ゆえ、補欠のリストに入っていました。
さらにGMATの点を改善すべく7回受け、最終的に、合格基準点を上回る点数を取ることができました。
これできっと合格通知が来る!
そう自信を持っていましたが...1か月たっても2か月たっても、まだ合格通知が来ないのです。
そうしているうちに、あと1か月で完全に締め切り、という時期まで来てしまいました。
面接官待ち伏せ作戦に出る
色々考えた末、自分のプレゼンテーション資料を作り、面接担当者に直談判しようと考えました。
NYUのアドミッションオフィスで、担当面接官のジュリアを待ち構えたのは、3月のことです。もちろんアポはないし、担当者が来るか来ないかもわからない。いま考えれば無謀かもしれませんが、それしか選択肢はありませんでした。40分ほど立っていたでしょうか。運よくジュリアが出てきたのです!私は偶然を装い彼女に話しかけて、自分をプレゼンしました。
「ここには私が仕事で成果をあげたものがまとまっています、私は意見の異なる人たちをまとめることができますし、NYUのMBAチームプロジェクトでもこの力を発揮できます。だから入学させてください」
偶然を装うわけですから、長くとも30秒でピンポイントに話そうと決めていました。どの順番で何を話すかを何度もシミュレーションし、その一瞬に賭けました。
その2日後、入学担当者から勤務先オフィスに電話がかかってきて、合格を知らされたのです。
大切なのは英語力そのものよりも、積極的に動き、いろんな人を巻き込んでいくコミュニケーション能力でした。
この力をもってすれば、MBAも大成功に違いない。
そう思ったのもつかの間でした。
次回は「第6回ー二回目の挫折と発見」です。
お楽しみに。
ワシントン大学留学中に知ったMBAに挑戦しようとした、入社4年目のこと。見事不合格で、翌年再度挑戦するも、補欠リスト入りとなってしまいました。そこで私が取った行動とは、面接官待ち伏せ作戦でした。