「信元夏代のスピーチ術」編集長 信元です。
先週、2年3か月ぶりに日本に帰国していました!
たった3日間の滞在ですが、ギリギリ日本の美しい桜を見れる時期に帰れ、日本の美味しいものも沢山堪能し、2年分の買い物もし(苦笑)、充実した3日間を終えてニューヨークに戻ってきました。
やはり2年以上という期間が開くと、感覚が遠のいていたのか、改めて感じたことや驚きがありました。
そこで、今回の帰国で改めて驚いたことのトップ3と所感を書いてみたいと思います。
日本のここがびっくり その①
まずは、エレベーターが静かでスムーズ!! ホントに動いてるのか心配になるほど揺れない。音もしない。さすが日本の技術。笑。ホテルだけかと思ったら、デパートでもオフィスビルでも全部同じ。カルチャーショックでした(笑)。
日本のここがびっくり その②
次に、無駄・非効率が多い、ということ。
まず紙。買い物すると、やたら紙が多い…包装紙、袋、シール、そしてレシート、紙質も良いものなので、もったいない。デザートたった1個のために、ビニール袋、紙袋、賞味期限のシールとお店のシール、手提げ袋、手提げ袋用のシール、そしてレシート、と、どんだけ紙を使ってるの!?とびっくりしました。
もう一つの無駄・非効率は、人材とプロセス。羽田空港に到着するなり、検査までの道のりの6つのチェックポイントにやたら人が多く、半分以上のスタッフは立ってしゃべってるだけ。更に、6つのチェックポイントで何度も同じものを見せさせられ、人とプロセスの無駄。
日本のここがびっくり その③
そして、間接的なコミュニケーション。
私は異文化コミュニケーションを扱っているので当然頭では理解しているのですが、実際に日本で直面すると新たな驚き、というか、「ああ、そうだった、こんな感じだった!」という新鮮さがありました(笑)。
例えば、羽田空港での検査で、色んな紙を配られて、検査結果が陰性と出た最後のカウンターで、「この紙はどうしたらいいですか」と尋ねたら、「大丈夫です」との返事。アメリカ式に直接的表現がsecond natureになっている私、瞬間的に、この、とても間接的な「大丈夫です」の意味が分からず、「大丈夫っていうのはどういうことですか?この紙はもう必要ないということですか?チェックは済んだけれど持ってはいたほうがいいということですか?」と矢継ぎ早に聞き返してしまいました(笑)。
だってこの会話、英語にしてみたらこうなるんですよ(苦笑)。
“What do I do with this paper?”
“It’s ok”
は??な、、、何がOK??? 紙がOk?え、どういうこと???この紙をどう処理したらいいのかって聞いてるんですが;;;
というのが頭の中を超速でグルグルするわけです(苦笑)。
期待していた答えは、
“You can throw it out”
とか、
“You still need to keep it”
とか、“紙の処理”についての直接的な回答であるところ、
“It’s OK”
これじゃ意味が通じないわけです。
高コンテクストなコミュニケーションはその文化の中でしか通用しない
日本のコミュニケーションは、非常に“高コンテクスト”、つまり、“察しの文化”であるため、相手は分かってくれるだろう、と思って間接的に話すことに慣れてしまっていますが、こんな“あうん”の呼吸が通じるのは日本のみ。もしかしたら日本でも、今の若い世代には通じないかもしれません。
異文化コミュニケーションでは、極力明確に伝えられるよう、話す側が伝え方を適応させることが大切である、と同時に、聞く方も、勝手な解釈をせずに、明確に回答が得られるよう尋ねる(やはり適応)ことが必要、両者の歩み寄りと適応が大事なわけです。
改めて学んだこと
ここで学びとなったのは、二つ。
1つ目は、異文化コミュニケーションは、適応させる力がとても必要だということ。
2つ目は、異文化コミュニケーションは、アンテナを張っていないと適応できずに、自分の自然なコミュニケーション方法に寄っていってしまうんだな、ということ。
だからこそ、異文化コミュニケーションは、意識、から入ることが、が大事なんですね。
日本は、「人々がちゃんとしてる」ということはすごく感じます。海外と比べると圧倒的にちゃんとしてます。みんなが真面目にしっかりと働いていますし、私のように27年もアメリカに住んでいて、しかも今回はコロナで2年以上も帰ってきていなかったので、ことさらその「民度の高さ」を感じます。
でもそこでさらに感じることは、「ちゃんとし過ぎて非効率になっている」という点です。
例えば、日本の電化製品を買おうとするとしましょう。信じられないくらい分厚い説明書がついてきますよね。そして、その多くに「やってはいけないこと」が書かれていたりします。 更には買う時の店頭でも、お店の人の説明がやたら長い。いろんな人が出てきて同じことを説明する。 でもそれは、お客さんに必要な説明をしている、というより、「私たちちゃんと説明したので、文句言わないでくださいね。」という、問題回避のための説明なわけです。これは、完全に日本特有の文化なんです。
異文化理論の中で、ホフステードという学者が行ったホフステードの5次元モデル、という異文化理解の調査が良く取り上げられます(現在では6次元モデルに進化しています)。その中で、日本が圧倒的に高いのが「不確実性回避」という指標です。日本は、とにかく不確実なものを回避するために、徹底的に準備するのです。なので、お客さんにものを売る時も、「起こりうるクレーム」が起きないように、起きた時に大丈夫なように、執拗な準備をするわけです。徹底的に説明するのです。ものを作る時も、検品に検品を重ね、完璧にします。大企業の稟議に半年かかるのも基本的には同じ国民性です。 そして、時代がどんどん変化している中で、「不確実性回避」をしていると、膨大な時間がかかるわけです。そして、真面目な日本人は、一生懸命時間をかけて、残業して、なんとか準備をします。さらに、準備が終わるころには時代が変わっていたりするのです。
失われた30年、とも言われますが、これ以上日本が取り残されないためにはどうしたらよいのか。。。
日本という文化の中で、どうやってひとりひとりが自分自身を変化させていけるのか…
みなさんは、どうお考えですか?