日米で「沈黙」に対する価値観が違うことをご存知だろうか? 誤解を生む要因にはいろいろあるが、特に、外国人と話すときに、表情やしぐさといった、文化的な非言語コミュニケーションを正しく理解していないことで生じるところが大きい。しかし、言い換えれば、この壁を乗り越えられれば、相手と良好な関係を築くのがスムースになる。
そこで今回は、非言語コミュニケーションによる異文化間の誤解、特に「沈黙」に関する解釈の違いにフォーカスし、そこから生じる誤解について、なぜ起きるのか、どう対処したらいいのかを紹介したい。以前の記事で、「顔の表情」や、また、「非言語コミュニケーションとは何か」「それを起因とする誤解」「外国人と上手にコミュニケーションをとるコツ」について解説したので、それも合わせて参照されるとより分かりやすくなると思う。
普段の意識的、無意識的にしているちょっとしたことが誤解に繋がる可能性があるので、外国人と仕事をしたり接する機会の多い方におすすめだ。
沈黙に対する価値の重さは日米比較すると、日本の方がはるかに大きい。その違いからくる誤解がある。アメリカ人からの質問に日本人が沈黙してしまうと侮辱ととられてしまう。何かしら言葉に出して、十分に説明する努力が必要だ。
沈黙に対する価値の重さは日米比較すると、日本の方がはるかに大きい。その違いからくる誤解がある。アメリカ人からの質問に日本人が沈黙してしまうと侮辱ととられてしまう。何かしら言葉に出して、十分に説明する努力が必要だ。
この記事では、アメリカ人との違いについて取り上げることにする。一口にアメリカ人と言ってもいろんな人がいるので、この記事で言及するアメリカ人とは、いわゆる主流とされるワスプ(アングロサクソン系白人)の教育程度が高い人たちのことを指すことにしたい。
沈黙の価値に大きな違い
日本でもアメリカでも、演奏会場などでは最も深い沈黙が見られ、特に表面上の違いは見られない。しかし、沈黙に対する価値観が大きく違うようだ。
昔、「男は黙ってサッポロビール」というようなコマーシャルがあった。黙っていることに美意識を感じるのは日本人の特徴であり、特に男性はそうかもしれない。全般的に、日本人の多くは「あまり口数は多くない方がかっこいい」と思い、伝統的には「男は無駄口をきくものではない」と育てられる。沈黙をぎこちなく感じたり、何かがうまくいっていない兆候だと思ったりする日本人は少ないと思われる。
1、食事中の会話
日本人は、アメリカ人と比べると、沈黙を高く評価する傾向がある。それは生活の中のいろんなところにあらわれる。
- 日本の夕食会:しばしば会話が途切れる。
- アメリカ人の夕食会:社交的な会話こそが肝心と考え、会話に集中する。
日本人は、食事中にしばしば会話が途切れても気にしない。逆にそれが自然だと考える。食べ物を迎え入れるために、逆に敬意を持って会話を中断する。
一方で、アメリカ人にとっては、この日本人の行動は驚きだ。なにしろ食べ物は二の次で、会話を楽しむために食事をするとの考えに慣らされているからだ。だから、バレーボールに興じるように、会話というボールを落とさないように気をつける。
これに対し、日本人で真面目な人だったら、「目的が会話にあるのなら、なぜわざわざ食べ物を供するのか」と当然いぶかしく思うかもしれない。
- 日本人のアメリカ人に対する誤解:食事中なのになぜそんなに話すのか? おしゃべりな人なのか?
- アメリカ人の日本人に対する誤解:食事を楽しんでいないのではないか? 自分は嫌われているのか?
2、日本の沈黙は、日常の生活環境がより騒がしいから?
日本での日常の生活環境は、自国のそれよりも騒がしいと感じるアメリカ人は多いと思う。
例えば、日米のプロ野球観戦の応援の仕方を観察するとおもしろい。日本では、常に応援団が鳴り物付きで盛大に応援する。アメリカでは、ピッチャーの投げた球がキャッチャーミットに収まる音がよく聞こえたり、打ったバットの音が鳴り響く。ブーイングなどがものすごい時もあるが、それはプレイが終わった後で、プレイ中は日本と比べると静かである。
日本の小中学校では、朝、拡声器から音楽が流れて1日が始まり、下校時間も何かしらの音楽や放送がある。授業の終わりと始まりを知らせるチャイムが鳴る。
駅のプラットホームでは、「お早くご乗車を」と呼びかけたり、電車に乗れば、一駅ずつ駅名の放送がある。バスの車内でもこの事情は同じである。ゴミ収集車がチャイムを鳴らしたり、古紙回収者などが拡声器で客集めをする。
アメリカでは以上のようなことはほとんどない。ニューヨーク・マンハッタン街などの一部では確かに騒がしいが、日本と比べるとそれほどでもない。
私は、日本人が英語国民よりも、沈黙に大きな価値を置くのは、江戸時代からの伝統や禅宗の影響があると考えている。しかし、リージャー・ブロズナハン氏は著書の中で「日常の生活環境が騒がしいこと」も理由の一つなのではないか、と指摘している。つまり、日本では日常生活が騒がしいので、会話で沈黙することでバランスをとっている。一方で、英語国民の間では、日常生活が静かなので、会話では沈黙をしないようにしている、という説明なのだ。「しぐさの比較文化―ジェスチャーの日英比較」リージャー・ブロズナハン著(大修館書店)
3、質問に答えられない場合、どうするか?
- 日本人:黙っている
- アメリカ人:曖昧な返事をしたり、無関係なことを言う。
日本人は沈黙を高く評価しているが故に、例えば、質問に答えられない場合に、何も答えずにいる傾向がある。沈黙による返事の拒否をしている。ただ単に礼儀正しく、はっきりものを言うことを控えているに過ぎない。
もしアメリカ人の質問に対して日本人が何も言わなかったら、アメリカ人は侮辱を受けたと感じるだろう。
逆に日本人の質問に対してアメリカ人が無関係なことを長々と説明し始めたら、軽率で、こじつけがましく、あまり信用できない人だと解釈されてしまう。
- アメリカ人の返答に対する日本人の解釈:潔さが感じられない
- 日本人の返答に対するアメリカ人の解釈:侮辱を受けた
ブロズナハン氏によれば、英語国民の間で「沈黙は金なり」が使われる場面は、大人の中にいる子供たちにだけ当てはまるという。英語圏の大人同士の間では、聞こえる程度に発せられた質問には何か答えが必要である。その答えは有効なものでなくても良い。
英語国民の間では、質問に対して単に沈黙を返すのは侮辱である。「答えられません」と言う答え方は、決して良くはないが、それでも沈黙よりはずっとマシである。
確かに、仕事上の何かのパフォーマンスに対しても、アメリカ人は、否定的な内容でもいいからフィードバックを欲しがる。そういう人に対して沈黙を守れば、やがて彼らは辞めてしまうだろう。
沈黙に対する価値の重さは日米比較すると、日本の方がはるかに大きい。その違いからくる誤解がある。アメリカ人からの質問に日本人が沈黙してしまうと侮辱ととられてしまう。何かしら言葉に出して、十分に説明する努力が必要だ。
しかし、すべて英語国民の考えが正しいとは限らないし、欧米崇拝思想の下、何でもかんでも彼らのやり方に合わせようとする考え方はいかがなものだろうか。むしろ、日本人は、自分の文化習慣を説明する責任があると思う。「質問の後の沈黙は、決して侮辱的拒絶ではなく、礼儀にかなった自己抑制と考えるのが日本文化だ」ときちんと伝えることで、不必要な誤解を避けることができるだろう。
例えば、英語で、こんな感じで説明できると思う。
In Japan, “silence” is traditionally respected and placed in high value. They, therefore, tend to say “nothing” when they cannot answer a question. It’s just a way of being polite and avoiding being rude by speaking straight. It is never an insult or refusal for anyone, but a considerate way for others by being self-restraint.
日本では伝統的に「沈黙」が尊重され、高く評価されてきました。 そのため、質問に答えられないときは「何も言わない」傾向があります。 これは礼儀正しくあろうとする態度であり、率直過ぎて失礼になることを避ける方法なのです。 それは決して誰かを侮辱したり拒絶したりするものではなく、他者への思いやりが自己抑制によって表れた形なのです。
スピーチ・プレゼン「沈黙」対策
以上の解説には、個人差や世代によっても違いがあることを忘れてはいけない。しかしながら、相手の情報があまりない場合や、初対面の場合などには、一つの見方・指標としては、参考になるだろう。
日本人がアメリカ人に対してプレゼンする場合
- 文化的な背景を伝え、なぜ違うのかを説明する。
- 質疑応答などで質問に応える時は、沈黙を置かないように注意する
(1)は、そのような機会を意図的に作ったり、何かの折に司会者が説明したりすると良い。
(2)は、プレゼン前のリハーサルが重要である。長年積み上げてきた癖は、簡単に治るものではない。かなりの努力が必要だ。
アメリカ社会というのは、実にいろんな背景の人が一緒に住んでいるので、誤解を避けるためにはお互いに多くのことを説明し合う必要がある。だから、そういう土壌で育った人に対して何かを説明する時には、いろんなことを省略しないで、分かりきっていることかもしれないが、繰り返し、漏れなく説明することはとても重要なスキルだ。
アメリカ人から日本人がプレゼンを受ける場合
- 文化的な背景を伝え、なぜ違うのかを説明する。
- 質疑応答などで質問をする時は、率直に思ったことをいいことも悪いこともコメントするように心がける
(1)は、そのような機会を意図的に作ったり、何かの折に司会者やリーダー的な人が文化、沈黙に対する解釈の違いを説明するのが良いと思う。
(2)は、日本人が沈黙をしていると侮辱されたと思われがちだ。だから、「プレゼンがよかったので申し分がない」とは思わずに、よかったことをあえて口に出し、何がよかったのかを具体的にあげる。逆に、もし改善点があればそれを指摘したり、要望があれば、その場で忌憚なく、率直に、何でも意見を述べた方が喜ばれる。もし、本当に相手を否定したい(例:取引の中止など)と真剣に思うなら、何も言わないのがベストだろう。
沈黙を効果的に使う方法
沈黙は、アメリカ人にとって、全く価値のないものではなく、日本人同様、価値のあるものだ。ただ、その程度が日本人の方が大きいということだ。だから、スピーチ内で意図的に使えばとても印象深いものとなる。
沈黙は、話し手にとっては、ちょっと気まずいものだが、聞いている人にとっては、自分なりに話を咀嚼したり、考えを整理したりする時間になる。例えば、何か有名な引用句を述べた後に沈黙があると、その引用句の意味とあなたのスピーチとの関連を見出そうと様々な思いが頭の中を駆け巡っている、そんな時間になる。
そういう意味で、あなたのスピーチが感動的であればあるほど、その余韻を噛み締めるために沈黙の時間は、わざとセットアップする必要が出てくる。これは練習が必要だ。
さらに、しばらくの沈黙の後、放たれた言葉には重みが出る。聞く人の心に刻み込まれる。聴衆の心理としては、「この人はなんで黙っているのだろう。きっと何か大切なことを言うに違いない」と期待に胸を膨らませるようになる。
沈黙をどこに置くかというと:
- クロージング・オープニング
- ワンビックメッセージの前後
- 段落と段落の間
1、クロージング・オープニングでの沈黙
オープニングで沈黙をするには、かなり経験を積んでいないと難しいがやってみると面白い。私は、「アイコンタクト」の重要性を話したかったので、冒頭でいきなり、何も言わずにアイコンタクトだけをとって聴衆とコミュニケーションを取ったことがある。10秒くらい続けた後、おもむろにこう言った。
「アイコンタクト。それはスピーチでとても重要なスキルです」
クロージングでは、沈黙を最後に持ってくる、というのは、前述のような「余韻を噛みしめる」効果があるからだ。これはぜひ身につけて欲しいスキルの一つだ。最後セリフを言ったら、心の中で最低でも5つゆっくり数えてから退場して欲しい。
2、ワンビックメッセージの前後
自分の一番言いたいことを一つにまとめ、それを強調して発言しう、その前と後。言う前は心の中で3秒数え、言った後には7秒くらい数えるといいだろう。
ワンビックメッセージについてはこちらの記事が詳しい。
沈黙に対する価値の重さは日米比較すると、日本の方がはるかに大きい。その違いからくる誤解がある。アメリカ人からの質問に日本人が沈黙してしまうと侮辱ととられてしまう。何かしら言葉に出して、十分に説明する努力が必要だ。
3、段落と段落の間
一つの段落が終わり、次のトピックに移る時には、大きく深呼吸したり、スライドを変えたりなど、必ず間を取るようにする。のべつまくなしに述べると、どこで話が区切られているのか分からなくなるので、聴衆にとっては聞きづらいスピーチになってしまうことを忘れてはならない。
■併せて読みたい! ”I wish I could” はとても日本的な表現!
沈黙に対する価値の重さは日米比較すると、日本の方がはるかに大きい。その違いからくる誤解がある。アメリカ人からの質問に日本人が沈黙してしまうと侮辱ととられてしまう。何かしら言葉に出して、十分に説明する努力が必要だ。
■併せて読みたい! 文化の壁を乗り越えるための4ステップ
沈黙に対する価値の重さは日米比較すると、日本の方がはるかに大きい。その違いからくる誤解がある。アメリカ人からの質問に日本人が沈黙してしまうと侮辱ととられてしまう。何かしら言葉に出して、十分に説明する努力が必要だ。
■併せて読みたい! グローバルな場面で誤解を避けるコツ
沈黙に対する価値の重さは日米比較すると、日本の方がはるかに大きい。その違いからくる誤解がある。アメリカ人からの質問に日本人が沈黙してしまうと侮辱ととられてしまう。何かしら言葉に出して、十分に説明する努力が必要だ。
沈黙に対する価値の重さは日米比較すると、日本の方がはるかに大きい。その違いからくる誤解がある。アメリカ人からの質問に日本人が沈黙してしまうと侮辱ととられてしまう。何かしら言葉に出して、十分に説明する努力が必要だ。